★「運命について」 テンソルの文集より 

★「運命について」        By テンソル



神は、木の葉一枚落ちるまで全ての出来事を司っているらしい。
それでは、全ての出来事はすでに決定づけられているのだろうか…。
つまり、決定論が正しいか否かである。
これは運命論とも関係する。
この問題は、ニュートンアインシュタインらも考えた難問である。
ニュートン決定論の権化の人である。
アインシュタインもまた然りであった。



しかし、20世紀初頭、
量子論が出てからその決定論は見直されるようになった。
はたして量子論は正しいのか、
そもそも量子論の基礎は、不確定性原理である。
それは、極微(ミクロ)の世界では、
物体は位置と運動量は同時に正確には観測不可能だということである。
その結果、物質は粒子と波動性の二重性を持つことになる。
そして、量子論では、
現在の状態を知ることも将来の状態を知ることも不可能で、
因果関係はひたすら確率統計に従うのみであり、
宇宙は偶然に支配されているという論理だ。
アインシュタインは最後までそれに反対していた。
「神は、決定に際してサイコロを振るのか」と言っていた。

しかし、ミクロの世界が不確定だからといって、
マクロの世界もはたして不確定だろうか…。
それは何ともいえない。



人間が神の子であり神の特性を持っているのなら、
人間のすることは神もするのではないだろうか。
つまり、神もサイコロを振るのである。
しかし、神は次元構造というか多層構造になっていて、
そのような神というのは低次元の神である。
超高次元つまり無限次元階の神は、むろん決定論的だと思う。
それでは我々人間は、
高次元の神によって運命は決められているのだろうか?。
これは難しい問題である。

神は自分より下次元のものに常にエネルギーを与え、
自由度を持たせ、それが良い方向に進化するのを見守っている。
つまり、運命は大筋では決まっているが、
個々にある程度自由度が与えられ、
運命とは決定論的ではないのではないだろうか。
つまり、運命とは変えられるのだ。